ハイジのおじいさんの「傭兵」って何?

ハイジのおじいさんは傭兵だった過去が

バチカンのスイス兵
先日、アルプスの少女ハイジはおじいさんの物語という記事を投稿しました。

その中でおじいさんが「傭兵」だったという話がありました。友人から詳しく教えてほしいという要望がありました。傭兵ってあまり馴染みのない言葉ですね。

「傭兵」とは、金銭的などの利益目的で雇われ、直接利害関係のない戦争に参加する兵士のことです。

直接利害関係のない第三者でも、大義、信念、信仰などに基づいて金銭目的でない場合は「義勇兵」と呼びます。1930年代のスペイン市民戦争の時などは、世界各地から義勇兵が集まったといいます。多くの文化人もスペインに駆け付けましたが、なかでも有名なのは作家のアーネスト・ヘミングウェイですね。スペインを舞台に書いた作品がいくつもあります。

兵士(Soldier)の語源

まずは兵士という言葉の語源から。いくつかの説がありますのが主なものを紹介してみましょう。

①ローマ時代の兵士は「塩=サラリウム」を買う目的で給料をもらっていたので、「塩のためにもらうもの」ということで「サラリー」という言葉が生まれたようです。

ローマ時代の塩の給料のイラスト
②後年、ヨーロッパで勢力を持っていたルイ王朝、ハプスブルグ家、サヴォイ家などはスイスの人たちに自由な通行、商売、田畑や放牧の権利、居住権など法的な保護と引き換えにスイス兵を求めました。
つまりこれらの権利と引き換えに「売られたもの=Soldされたもの」から派生した言葉が「Soldier」と考えられています。

どうしてスイス?

傭兵の歴史は古く、ローマ時代にもあったそうですが、ではどうしてスイス兵が中世以降の他国の王室や領主から求められたのでしょうか?

現在では美しい山々を観光資源とし、多くの観光客が集まりますが、近代以前の交通手段の限られた時代では、山は雪崩などの災害をもたらす恐れの対象でしかなかったのです。耕す田畑もなく資源に乏しいスイスでは、体力のある元気な若者でも、働く場所が限られていたのです。

スイスの山の写真
スイスの人たちは寒さに強く、粗食に耐え、苦痛に強いうえ、たくさんの国に囲まれているので語学力に優れていました。着任したその日から意思疎通が可能だったため、重宝されたのでした。

12~14世紀のルイ王朝時代の記録に、雇っていたスイス兵についての記録がありました。当時、ルイ王朝だけで約6万のスイス兵を雇っていました。月の給料の銀10ポンドは今の20万円に相当する金額でした。

少ないようにも思えますが、兵士ですので衣食住がすべて支給されていました。このため兵士たちは給料のほとんどを祖国に送金していたのです。
この時の送金システムや、預かったお金を投資して利息を出すという考えが生まれました。これがスイスの銀行業の基礎になったのです。

また、各国に送られていたスイス兵ですから、「スイス兵同士を直接戦わせない」という条約を相手国と交わしていたそうです。

現代でも傭兵として

さて、現代ではもちろんスイスが傭兵として若者を輸出することはしていませんが、唯一例外があります。それは、一番上の写真の通り、バチカン市国にいます。
なぜ、スイス兵がバチカン市国にいるのか?次回の投稿でご紹介させていただきますね。

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