最近ではすっかり有名になり、年に60万人の入場者を迎えます。行ったことがあるという方も多いかもしれません。
のどかで小さな町に日本一と言われる美術館が、どうしてできたのでしょうか?
目 次
- 足立美術館とは
- コレクションについて
- 創設者・足立全康(ぜんこう)とは?
- 施設詳細
足立美術館とは
実業家・足立全康が故郷への恩返しとして昭和45年(1970年)、71歳の時に設立した美術館です。91歳で他界するまで、絵画の収集と並んで、庭造りにも情熱を傾けました。
「本館」「別館」 2020年にオープンした「魯山人館」から成り、本館には喫茶室が2つ、茶室、ショップも備えています。ほとんどの場所が、車椅子でも楽しむことができます。
「庭園もまた一幅の絵画である」という信念のもと、全康自身が全国を歩いて、庭石や松の木を探してきました。細部まで維持管理され、季節ごとに美しい姿を見せてくれます。(庭に出ることは、ごく一部を除いてできません。)
苔庭、枯山水庭、池庭、白砂清松庭と、趣の異なる庭が広がります。
建物の一部の窓が掛け軸の形になっており、そこから庭を見ると「生の掛け軸」になるという仕掛けも楽しいです。
庭の向こうには高い建物が無いため、奥の山が借景として、庭園の一部の役割を担う形になっています。美術館が山林の一部を購入していることはもちろん、山の持ち主と契約し、庭の景観に合わせて伸びすぎた木を切ることもできるそうです。
アメリカの専門誌「Journal of Japanese Gardening」では、18年連続して庭園日本一に選出されています。
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは山陰エリア唯一の最高ランクの3つ星を獲得しています。
コレクションについて
創設者・足立全康が蒐集した現代日本画、工芸品、童画に至るまで、多くの魅力的な作品を所蔵しています。
なかでも、この美術館の原点である、横山大観コレクションは120点を超え、質・量ともに日本一と言われています。
「横山大観特別展示室」をはじめ、美術館入口から大観の世界が広がります。
足立全康とは?
明治32年(1899年)、現在美術館がある場所に生まれました。小学校卒業後、家の農業を手伝いながらも、身を粉にして働いても貧困から抜け出せないことに疑問を感じます。
14歳からは素足にわらじ履きで大八車を引き、木炭を運ぶ商売を始めました。
後に大阪で繊維問屋、不動産業を営みました。戦後の焼け野原の大阪で次々と土地を買い、財産を築きました。
昭和54年、横山大観展で見た「紅葉」に感銘を受け、美術品蒐集のきっかけになり、いつしか美術品コレクターとしても知られるようになっていきました。
庭づくりへの関心も大きくなり、島根県の文化発展の一助になればという思いで、財団法人足立美術館を設立しました。
日本庭園を観賞し日本の四季の美しさに触れながら、横山大観の魅力を知っていただき、そこから他の作品や作者に興味を持ってほしいという深い願いがあったようです。
足立全康は平成2年に91歳で亡くなるまで、足立美術館を世界的なものにしたいという夢を持ち続けていました。朝に夕に、庭を見て少しでも気になることがあると、庭師を呼んで手入れをさせました。
絵画の入手にもますます情熱を傾け、「美しいものに感動する心」を人々に伝えたいと考え続けていたのでした。
足立全康の有名な言葉に、「わしの人生は、絵と女と庭や」があります。
周囲の反対で実現しなかったそうですが、自ら考えた戒名は「美術院高色庭園居士」でした。女性関係については、時代違いますから大目に見られていたらしく、具体的な話はなかなか聞こえてきません。面白そうなのですが。。。。
施設詳細
アクセス
山陰自動車道 安来IC から約10分
JR安来駅から無料送迎バスがあります。(1日17往復)
入場料
大人 2300円、大学生 1800円、高校生 1000円、小中学生 500円
営業時間
9:00~17:30(冬季は~17:00)
音声ガイド
1台 500円
💬
すっかり有名になった足立美術館ですが、その創設者である足立全康氏については、あま り語られることがないように思います。
きっと破天荒であったであろう人生をドラマ化してほしいのですが、いかがでしょうか?
その時には主役の足立全康役はハナコの岡部大さんにやってほしいのです。
理由。。。日本で一番、大八車の似合う人だから。
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