ハイジはおじいさんの物語

ハイジとクララ
「アルプスの少女ハイジ」と言えば

日本のアニメーションがヨーロッパをはじめ、世界各地で放送されています。
スペインで「クレヨンしんちゃん」を視たり、ドイツで「アタックNo.1」も視ました。

スイスに添乗に行って、ホテルのテレビで「アルプスの少女ハイジ」のアニメーションを見た時は本当に感激しました。

ハイジと言えば、ほとんどの人が「クララが立ったぁ~」ですよね。
もちろんハイジを通して起こるいろいろなエピソードが物語の中心要素なのですが、「おじいさんの再生物語」ともいうべき隠れた主題が実はあるのです。

私がスイスにツアー添乗に行った時には、「アルプスの少女ハイジ」は「おじいさんの物語」という話をしています。

ハイジのおじいさんの人生とは?

ハイジのおじいさんは裕福な家に生まれました。ですが若い頃、酒と博打に明け暮れ全財産を失いました。失意の中、イタリアに傭兵として出稼ぎに行きました。そこで暴力事件を起こして人を殺してしまったという噂もありました。
聖書で言うところの「放蕩息子」だったのです。

そんな噂のあるおじいさんは村のつまはじき者でした。
息子夫妻を相次いで亡くした辛い経験のため神様を信じず、教会にも行かなかったからです。村に下りても人々に受け入れてもらえなかったので、おじいさんは1年中、山で暮らしていたのです。
スイスの人たちは夏は山で羊やヤギを放牧しながら過ごしますが、寒い冬には山を下りて町にある家で生活するのが普通でした。

その時代背景

アルプスの山
アルプスの少女ハイジが出版されたのは1880年のこと。スイスにも産業革命により工業化の波が始まっていました。

しかし、おじいさんが若い時は資源も、耕作地もないスイスでは産業が少なく、貧しい人たちは食べるものにも困るありさまでした。出稼ぎが収入を得る大きな方法でした。若く、元気な男性は他国に雇われ兵である「傭兵」として出稼ぎに行ったのです。

周りを外国に囲まれている内陸国のスイスでは、数か国語を話せる人が多く、他国に行ってもすぐにその国の人々とコミュニケーションがとれたため、相手にとっても好都合でした。傭兵の送金するお金が、スイスの大きな収入源であり、「血を輸出する」とまで言われていた時代があったのです。

ハイジを預かることで。。。

ハイジとおじいさん
息子を事故で亡くし、後を追うようにその妻も病気で亡くなり、孫のハイジはデーテおばさんが育てていました。

ある時、デーテおばさんに良い勤め口が見つかったのですが、ハイジを連れて行くことができないため、仕方なくおじいさんに預けることにしたのでした。

村の人たちとうまくいっていないおじいさんでしたが、ハイジの無垢な心はおじいさんのかたくなな心をほぐしていきます。このあたりは、多くの人がアニメーションで見た記憶の通りですね。
また、ハイジを通じて新しく出会った人たちはおじいさんを敬い、認めてくれました。

ハイジがいよいよ学校に通う年になる頃には、おじいさんの考えも変化していました。愛するハイジのためにも、おじいさんは変わろうとしたのです。
村におりて、会った人にぎこちなくも挨拶をしてみます。むこうも戸惑いながらもおずおずと挨拶してくれます。
勇気を出して教会の礼拝に行ってみました。教会にいた村の人々は一瞬静まり返りました。
ですが、徐々に表情を和らげ、笑顔で受け入れてくれたのです。

このあたりで泣けてしまいます

スイスにツアー添乗に行った時にはこの話をするのですが、毎回このあたりで泣けてきてしまいます。クララが立てて良かったけれど、本当に良かったのはおじいさんなのです。

作者のヨハンナ・シュピリは、都会の生活になじめない人だったそうです。時折マイエンフェルト地方の友人のもとを訪れ、疲れた心を癒していたのです。
物語の中でもハイジをクララが住む大都会フランクフルトに行かせて、「アルプスに帰りたい」と言わせます。

便利さと引き換えに失ってしまった人間本来の生活。作者は人々に気付いてほしかったのでしょう。本当に大切なものは自然と共に豊かな心で生活することだと。

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