金子由香利さんはお元気でしょうか?

金子由香利
フランス語の音が好きだったので
 

中学生になって英語の授業が始まったと同時に、友人に教えてっもらったビートルズが大好きになりました。

同時に、外国語に大いに興味が湧き、特にフランス語のおしゃれな「音と雰囲気」に魅せられました。

大学で第二外国語としてフランス語を選択し、シャンソンを聞き始めました。アルバイトで多少のお金が自由になり、行動範囲も広がったこともあり、今はなきシャンソニエ「銀巴里」へ通うようになりました。

銀巴里へ通った日々

銀巴里に行ってみたのは、たまたまテレビで見た金子由香利さんの歌をナマで聞いてみたいと思ったからでした。

金子由香利さんのステージの日にはいつも店の外に行列がでるので、1時間前には列に並びました。

大人ばかりのシャンソニエの中で、私はまだまだ子供っぽい客だったことでしょう。満員の客席の片隅で開演を待つ間も、なんだか居心地が悪かったことを懐かしく思い出します。

ひとたびステージが始まると、由香利さんの声、表情、指先に私の神経は集中し、居心地の悪さはなくなりました。

「時は過ぎてゆく」「巴里の屋根の下」「おお我が人生」「いつ帰って来るの」「ミラボー橋」「詩人の魂」なども大好きでした。

金子由香利
金子由香利に泣かされに行く

そして何より由香利さんの真骨頂は、ドラマ性のある曲でした。

「私は一人片隅で」「アコーディオン弾き」「サンジャン私の恋人」「パダン・パダン」「思い出のサントロペ」
「ラ・ボエーム」、そして「再会」

歌の中の主人公たちがまるで目の前にいるかのようでした。時に囁くように、時に激しく
情感豊かに、観客をその情景に連れて行ってくれました。そして、毎回私はハンカチがびしょぬれになるほど号泣してしまうのでした。
周りの人たちは気にしつつもそっと見守ってくださり、ありがたかったです。

渋谷パルコのリサイタルにも、銀巴里に通い出してからは毎年のように行きました。
銀巴里ほどではありませんが、パルコ劇場も客席とステージが近いです。良い席が取れた時には、私がしきりに泣いている姿が、由香利さんにも見えていたのではないかと心配でした。邪魔をしていたら申し訳ありませんでしたと、謝りたいです。

今はどうしていらっしゃいますか?

銀巴里が閉店し、日本のシャンソンの殿堂の灯が消えてしまいました。最後の金子由香利さんの回にも観に行きました。2000年代に入ると、由香利さんの活動がだんだんと無くなり、私も忙しさに紛れて、いつの間にかシャンソンから離れてしまいました。

引退されたとネット検索で知りましたが、近況をご存じの方がいらっしゃったら教えていただけると嬉しいです。
歌はもちろんですが、歌の間にホントに小さな声で話す感じも大好きでした。
お元気でいることを祈っています。

💬この投稿をきっかけに、金子由香利というステキなシャンソン歌手を知っていただける人が1人でも増えてくれたら嬉しいです。


コメント

  1. 匿名20:41

    私も若かりしころ銀巴里で
    涙をながしていました!
    ファンだった父母に連れて行ってもらい 一曲一曲がまさに小さなお芝居を一幕ずつ見ているように引き込まれておりました。
    会社終わりに銀巴里までかけつけ
    ギリギリ地下に滑り込んだものです。また金子さんの舞台、せめてDVDを持っていたいです。
    どなたか金子さんの当時のステージ 映像お持ちでないでしょうか?ずうっと切望しております。

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    1. コメントいただき、ありがとうございます。
      素敵な由香利さんの歌はいつまでも私たちの胸に残っていますね。

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  2. 匿名19:43

    金子さんのコンサートツアーでの演奏伴奏pianisuto藤原さん
    自由が丘ラマンダでやはり銀巴里の書籍出された深江ゆかさん、お二人がどなたより
    確かな金子さんの情報ご存知のはずです。

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