さよなら、左團ちゃん

市川左團次さんが。。。

市川左團次
「私の左團ちゃん」が肺がんでお亡くなりになりました。82歳でした。

ここ数年、体力のいる役は難しいという印象でしたが、細く長く、1年に1回くらい見られたら嬉しいし、それで十分と感じていました。残念という言葉では言い表しきれないほどショックが大きいです。

歌舞伎を見始めた頃より、その大きな役者ぶりとお茶目な人柄に惚れこんでおりました。私の1番は仁左衛門様「命」、2番目は玉三郎様「すべて」、そして3番目に好きなのが左團ちゃん「LOVE」でした。

最後に見たのは昨年12月の團十郎襲名披露公演での口上になってしまいました。新・團十郎が「暴れん坊だった」とチクリと刺して、会場の笑いを誘っていたのが印象的でした。

お茶目な人柄

市川左團次の意休
歌舞伎ファン以外に左團ちゃんの人柄が世間に広まったきっかけは、1990年頃に放送されていた、
18代勘三郎さんが勘九郎時代にやっていたテレビのトーク番組「今宵はKANKURO」への出演だったのではないでしょうか?

カンクロちゃんが司会ということで、当時はドラマ以外ではテレビに出ることが少なかった歌舞伎役者が沢山出演したものです。この時の話の内容ははっきり覚えていませんが、後に「徹子の部屋」に出演した時のことはよく覚えています。

その時の話の内容は「市川左團次を愉しむ」というという投稿をお読みいただければと思います。見た目はダンディなのに話し出すと「とんでもないことを言う」のがギャップで面白いのです。

写真は「助六」の敵役・髭の意休です。役者としての大きさがないとできない難しい役です。私が見た最後の舞台はやはり12月歌舞伎座の「助六」のくわんぺら門兵衛になってしまいました。助六のモテモテぶりを際立たせる役どころですが、左團次ちゃんならではの可笑し味があり、楽しく拝見しました。今月の歌舞伎座も休演で心配していましたが、まさかあれが最後になるなんて。。。

左團ちゃん。楽しい舞台を、素晴らしい演技をありがとう。楽しい話を沢山聞かせてくれてありがとう。忘れません。

コメント