私も地下鉄サリン事件の被害者?

 30年前の今日

地下鉄サリン事件から今日で30年。各報道機関でも、当時の映像が流れたり、その後の影響などを報道していますね。

あの日、私は友人と地方に旅行に行っていました。当時携帯の普及率は3~5%だったそうで、私も携帯電話はまだ持っていませんでした。事件を知ったのはその日の夕方。帰りの新幹線に乗るために駅に着いてからでした。キオスクで売られている夕刊紙の見出しに「東京都心で爆弾テロ?」などとありましたが、「夜はもう大丈夫じゃない?」と気楽に構えていました。

家に帰ると

実際に東京に着いてからも、特に何もなかったかのように家までの電車が動いていました。ところが自宅に帰りつくと、母が「どこ行ってたの~!!!」と玄関に飛び出してきました。
私は母も知っている友人と旅行に行っていたのです。なぜ叱られるのかわかりませんでした。

母によると、昼間から私に関する問い合わせの電話がたくさん来ていたというのです。

当時私は地下鉄の国会議事堂前駅で乗り換えることが多く、日比谷線、丸の内線も頻繁に利用していました。そういったことを知っている友人や知人から問い合わせ何件もが来たというのです。母は「旅行に行っているはずです」と答えたそうですが、「まさか」「もしかして」と、不安で仕方がなかったというのです。

今なら携帯電話ですぐに安否確認が取れたはずですが、当時は私が事件を知って家に電話をかけない限り不可能でした。その結果、家に帰ってからなぜか親に散々叱られるという「被害」に遭ってしまったのでした。

本当の被害者の方

ツアー添乗をしている中で、サリン事件の被害者のご家族とお会いしたことがあります。その方のご家族は普段は乗らない都心部の地下鉄にその日たまたま乗っていて被害に遭い、重い障害を背負ってしまったというのです。

普段乗っていたのにたまたま被害に遭わなかった私と、普段は乗らないのにたまたま被害に遭ってしまったその方とは紙一重ですね。

私が嬉しかったのは、そのご夫婦が大変明るいステキなご夫婦だったことです。ご家族にあのような事件で重い障害を負った方がいても、束の間の息抜きだったかもしれませんが旅行を楽しむことができていたからです。

それは、障がい者を家族に持つ方への私の勝手な先入観かも知れませんし、被害者本人の苦しみは想像もできません。事件がきっかけで仕事も生活もめちゃめちゃになってしまった方も多くいることと思います。

多くの方に甚大な影響を与えた、二度と起きてはいけない許しがたい事件でした。

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