添乗員になるまで③資格試験の勉強

ちんぷんかんぷん

さて、色々とテキストや問題集を買ってきて勉強を始めてみました。最初の感想は「何やら、ちんぷんかんぷ~ん」でした。まずは旅行関係の法律、規則を勉強しなければなりませんでしたから。「約款」(やっかん)なんて言葉はこの時に初めて知りました。

試験会場のイラスト
それでも、勉強を続けることができたのは、「結構おもしろい」と感じることができたからだと思います。法律関係はともかく、地理・文化系の知識を学ぶのは楽しさを感じることができました。英語は元々得意分野でしたから、それほど苦労することはありませんでした。

毎日分厚い教本を持って、休憩時間に勉強し始めた私に、会社の同僚も応援してくれました。

とりあえず受けてみた

実は私が「一般旅行業務取扱主任者」試験に合格したのは2回目の試験の時でした。ゼロから勉強を始めたのが9月。その頃の試験は1年に1回、10月でした。つまり、1回目は資格試験の勉強を始めてたった1か月後でした。

勉強を始めてみて、夢にも1回目で試験に受かるとはないとすぐにわかりました。それでも、試験会場の雰囲気や、試験の緊張感に慣れておきたいという考えから受けてみたのです。

試験会場に行ってみると、専門学校生の人たちでしょうか?楽しそうに休憩時間に試験の答え合わせをする声や、持参した弁当を食べながら歓談する様子が見られました。

疑問に感じている女性のイラスト
何となく疎外感を感じていると、熟年層の方も少数ですが目に入ってきました。年齢を重ねても勉強し、資格を取ろうと頑張っている方たちがいるということに勇気をもらいました。

次は絶対!

当然ながらその年の試験は合格できませんでした。ですが、試験の様子も、会場の様子も下見はバッチリできました。それだけで大きな1歩を踏み出したような気分になっていました。

勉強する中で一番苦労したことは、JRの運賃計算でした。色々なルールを覚えたり資料を確認しながら行うのですが、ややこしいことこの上ありません。当時はこれだけで1科目だったはずですので、他でカバーすることができなかったのです。

当時の合格ラインは全科目70%以上の得点だったと記憶しています。このため、勉強している時は常に80%以上の正解率になるようにしていました。全科目の合算ではないので、他が100%でも、1科目でも50%では合格できないのです。

必死で勉強する女性のイラスト
後に添乗員になってわかることですが、JRの運賃計算をすることなんてないのです。航空券の料金計算も、一切したことがありません。なぜ、こんな不毛な試験がいまだに続いているのか疑問です。知ることは大事ですが、まったく必要のないことであんなに苦しんだということに、がっかりしました。

というのは翌年、2回目に受けた試験の前に私は会社を辞めてしまったからです。JRの運賃計算のせいで、このままではせっかく1年間勉強したのに合格できないと思ったからです。試験直前の1カ月は、家で朝から晩まで「引きこもり」のように勉強だけをしていました。

1年ちょっとの勉強期間の総仕上げ、集大成でしたから、絶対に受けるという自信が欲しかったのでした。

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