私の添乗ノート・カナダ④カナダの有名人

カナダ出身の有名人って?

テリー・フォックス
カナダに添乗で行った時に、お客様に「カナダ出身の有名人を挙げてみて下さい」と質問してみると、たいていの方は困った顔をします。

答えが出る方で「赤毛のアン」を書いた、モンゴメリー、歌手のセリーヌ・ディオン、ジャスティン・ビーバーといったところです。一度、アヴリル・ラビーンと言ってみましたが、ツアーに参加していた60~70代の方は「誰?聞いたこともない」という反応でした。

俳優ではマイケル・J・フォックス(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主役)、映画監督でジェームス・キャメロン(「タイタニック」の監督)くらいは名前を挙げると、「聞いたことはある」という反応になります。そして毎回「アメリカ人だと思っていた」と感想が返ってきます。

アメリカ人とカナダ人の区別って、無理ですよね?元々「人種のるつぼ」「人種のモザイク」と呼ばれる両国ですから。共通言語の英語も相まって、アメリカで活躍するカナダ人、カナダで活躍するアメリカ人が当然います。その都度、この人はカナダ人、この人はアメリカ人と毎回説明はしませんよね。

日本人の知らないカナダの有名人

義足のイラスト
そんな話をきっかけにして、私がツアー参加者に紹介したいのは、テリー・フォックスという青年です。

1958年生まれ。バンクーバー近郊でスポーツが大好きな青年に育ちました。大学に入った頃、右ひざに痛みを感じ検査を受けたところ、骨肉腫(骨のガン)であることがわかりました。治療の甲斐もなく、右足を切断することになりました。

義足を付けて歩くというのは、私たちが想像するより大変なことだそうですが、テリーは歩く練習と共に走る練習も始めます。

希望のマラソン

ガンで闘病する人や研究する人に希望を与えたいという思いから、マラソンを走りながら、寄付を募る「希望のマラソン」(Marathon of Hope)という活動を思いついたのです。

カナダの国道1号線は約8000Km。東の端のセント・ジョーンズから、西の端のポート・レンフリューを目指して毎日マラソンと同じ42kmを走り始めました。友人の助けも借りての活動でしたが、当初は孤独なものでした。

テリー・フォックスの銅像
しかし、テリーの活動は徐々に注目されるようになります。「義足の青年が国道を走って寄付を募っている」こんなニュースがテレビで流れました。「明日は○○の町の辺りに行きます」という情報が出ると、多くの人々が国道沿いに集まってきます。テリーを応援する声の高まりとともに、寄付も集まっていきます。

テリー・フォックスが走る実際の映像は数多く残されていますので、You-tube 等でご覧になってみて下さい。「マラソン」「走る」という表現をしましたが、スキップという表現の方が合っているような気がします。

多くの人に感動と勇気を与えたテリーのマラソンは、突然中止されることになりました。ガンが肺に転移したためでした。1980年9月1日。マラソン開始から143日目、約5300km、全行程の2/3にを走った時でした。一度バンクーバーに戻り治療後、再度走り始める日のために。

しかし、テリーが国道1号線に戻ることはありませんでした。1981年6月28日、22歳でこの世を去りました。

生き続けるテリー・フォックス

カナでは毎年9月に、「テリー・フォックス・ラン」と呼ばれるマラソン大会が全国各地で開かれます。ボランティアが大会を運営し、多くの寄付を集めています。

カナダの小学校ではテリー・フォックスについて学ぶそうです。
2005年には「希望のマラソン」25周年を記念して1ドル硬貨が造られました。
2010年のバンクーバー冬季オリンピックの開会式で、オリンピック旗を持って行進した8人のうちの一人はテリーフォックスの母親で、アナウンスされると大きな歓声が上がりました。

テリー・フォックスの遺志はカナダの大地にしっかり根付いているのです。
カナダに行かなくても、カナダの真の英雄について皆さんに知っていただきたいです。

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