宿坊という「商売」

寺のイラスト
体験してみたい?

一度は宿坊に泊まってみたいという方は結構いるのではないでしょうか?

宿坊とは、寺院でありながら宿泊設備も備えた施設です。修行僧の方たちが接遇してくれる宿坊もあり、通常のホテルとは違う体験ができることで人気があります。

宿坊ならではの体験とは、まず、寺に泊まるという経験です。次に食事が精進料理ということです。殺生をしないということから、肉や魚は使用せず、山菜や農産物を加工したものが出されます。朝は本堂で「お勤め」に参加できます。お勤めとは、お坊さんが読経をすることですが、お経を読めなくても、本堂で一緒にお祈りをするだけでも良いのです。前夜のうちに前もって申し込んでおけば、有料で法要をしてもらうこともできます。
読経のイラスト

希望すれば、昼間などに別料金で写経をさせてくれる宿坊もありますので、確認してみて下さい。

高級旅館並みの料金

先日母を連れて宿坊に泊まってみました。以前に、ツアー添乗で宿坊に行ったことはありましたが、せっかくなので、口コミ評価の良い宿坊にしてみました。

今や宿坊は昔のイメージではなく、宿泊客の半数が外国人でした。そして、宿坊のイメージが一番変わったと思ったのは、その宿泊料金でした。そこそこの高級旅館と同じくらいの値段だったからです。

建物が古く昔の造りなので、壁は薄く、隣の部屋の声が聞こえてきました。部屋のドア(襖)の鍵は内鍵のみでが廊下からはかけられませんでした。部屋には風呂どころかトイレや洗面所もありません。テレビはありましたが、リモコンが全く作動しませんでした。雨露は凌げましたので、まあ仕方ないかなと諦めて一晩過ごしました。

精進料理の画像
私が何より残念に感じたのは、その宿坊には「おもてなしの心」が全くないことでした。高級旅館並みの宿泊代をとっているのに、高齢者に対しての心配りや優しさが全く感じられなかったのです。

「○○してほしい」とお願いしたことを「できません」の一言で片づけられてしまいました。それでも「○○の方が母が助かるんですけど」と食い下がった私に「できないものはできません!」と怒りを含んだ声で拒まれてしまいました。私が要望したことは外国人の宿泊者には対応できていました。なぜ外国人にはしてあげられることを日本人にはできないというのでしょうか?

私は、出来る範囲のことしか言っていません。宿坊と言えども母が少しでも快適に過ごせるようにと、お願いしたのです。「宿坊なんだから我慢しろ」とでも言わんばかりの高圧的な態度にがっかりしました。

添乗員という「身分」は隠しての宿泊でしたし、親会社の威を借りることはしない主義なので、旅行会社の名前は言いませんでしたが、釈然としない、後味の悪い滞在になってしまいました。なぜ、口コミ評価が高いのか?まったく理解できない残念な結果になってしまいました。
得意気な人のイラスト

宿坊という商売

誤解のないようにしたいことは、このやり取りはすべて、修行僧の方とのやりとりではないということです。今や、宿坊も「ホテル商売」なのです。修行僧は接客していませんでした。堪能な英語で外国人にはにこやかに話す、高飛車なフロント従業員の話です。

日本人でありながら英語が堪能なので海外のフロントで働いている人によく見かける典型です。何が典型かというと、日本人に不親切な人が多いのです。海外のホテルのフロントに日本人がいるから「安心」と思ったら、日本人が来ると今までヒマそうにしていたのに、急に忙しそうにして、こちらが話しかけても返事もしない人がいます。

今回も、そのような種類の人に日本の宿坊で当たってしまいました。宗教の名を借り、ブームに乗って高額な料金を取っておきながら、おもてなしは「宿坊」の名のもとに軽んじられていました。

以前ツアー添乗で行った宿坊は、同等の値段で高級感もおもてなしも満足なものでした。全部の宿坊の話ではありませんからご安心を。

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