新しいお墓が並ぶ国

キリスト教のお墓のイメージイラスト
新しいお墓ばかりが並ぶ町

バルカン半島を旅したのは6~7年前のこと。
多くの国の多くの観光地、多くの町を巡りましたが、一番印象に残っているのは、バスの車窓から眺めた墓地です。

多くのお墓が新しく、花がたくさん供えられていました。
ツアーメンバーの方は「新しくてきれいなお墓ね~」と素直な感想を持たれたようでした。

「なぜ新しいお墓なのか?」考えてみるとバルカン半島の悲しい歴史が見えてきます。

バルカン半島の悲しい歴史

現在スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニアヘルツェゴビナ、コソボ、マケドニアと呼ばれる国々は、1990年代初頭までは「ユーゴスラビア連邦」という国でした。

旧ユーゴスラビアの地図とチトー大統領
第二次世界大戦時にドイツに対する人民解放軍の司令官として指導力を発揮し、その後大統領になったチトーが、ソビエトに従属しない「自主管理社会主義」という体制を維持しながら、カリスマ性で多くの民族、多くの言語を持つ人々をまとめていたのです。

しかし、1980年にチトー大統領が亡くなり、東欧革命、ベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の崩壊などの出来事が相次ぎ、連邦内でも自由を求める動きが活発になりました。

スロベニアの独立は比較的容易でしたが、クロアチアの独立には、セルビア人が3割いたためクロアチアの独立を認めたECとも対立しました。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは3つの民族が拮抗して存在していました。
コソボでも独立を認めないセルビアとの対立が激化していきました。
それぞれの利害のために、「民族浄化」と称する集団虐殺が行われました。これに対する制裁としてNATO軍が空爆で制裁を加えました。

「バルカン半島はヨーロッパの火薬庫」と言われる通りの混乱をきたしたのです。昨日まで隣人だった人々が銃を持って撃ち合いを始めました。民族同士の対立ですから、敵の民族の女性をレイプして妊娠させ、自分の民族の人口を増やすことが推奨されるという悲劇まで起こりました。

1991年~2001年までの約10年間、紛争は続きました。2006年にモンテネグロがセルビアから独立し、完全に旧ユーゴスラビア連邦は完全に消滅しました。

壁に銃弾の痕がある写真
美しい観光地でさえ

クロアチアの最南部に城壁に囲まれた美しい町・ドブロブニクがあります。ツアーの目玉と言っても良い観光地です。

破壊された建物のほとんどは修復されましたが、城壁には今も何千という銃弾の後が残っています。
たった20年前に、そんな紛争があったことが信じられないほど美しい町なので、余計に悲しく感じます。

今すぐやめてほしい

今、世界中が見つめる中で多くの人が意味なく命を落とし、多くの人が住む町から避難し、家族が引き裂かれ、不自由で不安な生活を送っています。

今すぐ終わってほしい。
旧ユーゴスラビアの国々に新しいお墓が多いのは、やっと落ち着いてお墓を建てる余裕ができたからでしょう。その新しさを痛々しく感じてしまいます。
今すぐ終わっても、数年後落ち着いた時にはウクライナに「新しくてきれいな」お墓がたくさん並ぶのでしょう。ロシアにとっても同じこと。
すべてがむなしいと早く気付いてほしいです。

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