映画を産んだ光

フランスで生まれた映画

ルミエール兄弟の記念メダル
写真が生まれたのは1830年代のパリです。幕末の志士の写真が残っているので、印象にあると思います。坂本龍馬などの写真は特に有名ですね。

写真を進化させ映画を作ったのは、リヨンの写真工房の、ルイとオーギュストのルミエール兄弟です。ミシンの動力装置を利用して動く写真「シネマトグラフ」を作りました。

ルミエールと言う言葉はフランス語で「光」を意味します。その兄弟が光と影の芸術である映画を発明したことは象徴的なことです。

初の上映会で起こったこととは?

1895年12月28日、パリのオペラ座近くのグランカフェにて初めての上映会が開かれました。仕事を終えて工場から出てくる労働者たちを写した「工場の出口」。南フランスのラシオタ駅に列車が入ってくるところを写した「列車の到着」など。
「列車の到着」では、映像を見ていた人たちが迫ってくる列車を避けようと、立ち上がって逃げ出したそうです。もちろん興行は大成功。

列車の到着
映画の商業化

ルミエール兄弟は、カメラマンを育成し、フィルムを作り現像を行い、映画を商業化していきました。1900年のパリ万博では、25×15mの大きなスクリーンを作り、同時に2500人の観客が映画を観ることができました。

彼らの商売は大成功していきましたが、作品はあるものをそのまま撮影したドキュメンタリーの域を出るものではありませんでした。

エンターテイメントとしての映画

ジョルジュ・メリエスという奇術師がいました。ルミエール兄弟に撮影機材の使用許可を求めたところ断られたため、イギリスから同じような機材を輸入し、自分で映画を作り始めました。
月世界旅行のイメージ

最初はドキュメンタリーのよううなものを撮っていましたが、ある時、途中で機材が故障してしまいました。後から映像をチェックしたところ、路面電車が突然霊柩車に姿を変えていました。

この偶然をきっかけに、メリエスはトリック撮影に目覚め、1902年には「月世界旅行」を発表しました。これは2つのSF小説を土台としたものでした。今までは実際にあるものを映し出すのが映画と考えていた人たちの度肝を抜く、新鮮な驚きを与えました。

その後、映像に音楽が付けられ、トーキーと言われるセリフが入る映画ができ、主題歌がヒットし、映画の全盛時代を迎え、今につながっているのです。

光と影の芸術、映画を産んだのは「ルミエール=光」の名をもつ兄弟だったのです。

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