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出雲阿国の墓の看板

出雲阿国の墓参り

ずっと気になっていたお墓参りに、やっと行ってきました。

出雲阿国の墓は、出雲大社から徒歩5分程の墓地の中にあります。お墓自体は小さなものですが、道路に面して看板が立っているので、すぐわかります。

出雲阿国とは?

1572年頃の生まれ。
出雲大社の巫女となり、文禄年間に出雲大社の勧進のため諸国を巡回したところ評判になり、伏見城に招かれて踊ったりしました。四条川原の仮小屋で興行を行った後、北野天満宮に定舞台を張るに至りました。

(役者を「河原もの」と呼ぶのは阿国が四条河原で興行していたからなんですね。)

当時の演目は、傾き者(かぶきもの=現代で言う不良、遊び人)が茶屋の女と戯れる様子を濃密に表現したものが主なものでした。男装した阿国と、女装した阿国の夫が演じ、観客はその倒錯感に高揚し、最後は観客も入り乱れて熱狂的に踊りました。
これが「かぶき踊り」の始まりです。

京都での人気が衰えると諸国を巡業しました。最後の阿国の消息は、1607年に江戸城で勧進歌舞伎を上演したというもので、その後ははっきりとした記録がありません。
現在は4月15日が「阿国忌」とされています。

出雲阿国の墓
現在の歌舞伎へと進化

阿国の「かぶき踊り」はその後、遊女屋で取り入れられ、「遊女歌舞伎」になり、三味線のお囃子が付くようになりました。お客にとっては遊女の品定めの場であったようです。
また、大胆で過激な「女歌舞伎」や若い美少年による「若衆歌舞伎」などにも変化していきましたが、江戸幕府が風紀の取り締まりのため、女性が舞台に立つことを禁止したため、現在の男性のみの歌舞伎「野郎かぶき」に定着したとされています。

阿国のお墓

大変良い天気の日でした。珍しく出雲大社で多くに時間を過ごすことができたので、行ってみました。
道路際の看板の横の石段を20段ほど上がった所です。

青々とした榊があることでお判りのように、今も地元の方に大切に護られているようです。
平成14年に改修されたということですので、下の自然石が元の墓石と思われます。文字が掘ってある細長い石の側面には、阿国の役で舞台に立つことが多かった女優・木の実ナナさんの名前が彫られていました。

一般の墓地の中のひとつですので、静かにお参りしましょう。
墓参者用の小さな駐車場はありますが、出雲大社から5分程なので、大社のPから歩くことをお勧めします。

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