佐藤愛子は"気付け薬"

作家・佐藤愛子(敬称略)をご存じですか?            
作家・佐藤愛子
私が中学生になり読書に目覚めてから最初に「愛読する作家」となった人です。

中学生の時は、「娘と私の時間」など軽めの作品をんでいましたが、その後「血脈」、「晩鐘」などの硬めの作品も生まれ堪能しました。

その時々に読み返し、自分の年齢や経験が増えるた感想や影響も変化してきましたが、ずっと変わらないことがあります。
それは特に佐藤愛子のエッセイを読むたびに、多く言葉が「気付け薬」のように、私のダラけた心、流されそうなぐらぐらした考えをピシッと直してくれることです。

佐藤愛子の全てが正しいということではなく、世間考えになんとなく「逆らわない方が楽だ」とか、「まいいや」と、無意識に思ってしまっているこ気づかせてくる人であるということが大切なのです。
佐藤愛子の著書
佐藤愛子 略歴
1923年(大正12年)生まれ。現時点で97歳!
小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女とし出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。甲南高等女学校(現・甲南女子高等学校)卒業。
昭和44年「戦いすんで日が暮れて」で第61回直木賞、54年「幸福の絵」で女流文学賞。平成12年「血脈」で菊池寛賞、27年「晩鐘」で紫式部文学をそれぞれ受賞。平成29年旭日小綬章を受章。

と、有名作家の末娘に生まれ、女優だった母親譲りの美貌。恵まれた人生のはずだったのに、苦労やトラブルを一身に引き受けてしまうのが佐藤愛子という人。
最初の結婚では夫が戦地でモルヒネ中毒になり、二度目の結婚では事業に失敗した夫と離婚したにもかかわらず莫大な借金を肩代わり。やっと借金を返した後に建てた別荘ではポルターガイスト現象などの心霊現象に悩まされ。

も、佐藤愛子にはこれらの苦難に立ち向かう力があったのです。その力とは「怒り」です。
そうしなければ生きていけなかったと本人も書いているように、怒りの力で苦難を受け入れ、その中で紡いできた数々の言葉が今や「怒りの愛子」の「名言」となっているのです。

久しぶりに読み返してみて、いくつか刺さった言葉をご紹介してみます。

もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩せる必要はない。進歩が必要だとしたら、
それは人間の精神力である。
 (「来るか? 日本人総アホ時代」より)

佐藤愛子の著書
私たちは朝夕鏡を見る。鏡を見て自分を知ったつもりでいる。だが私たちが本当に見なければならないのは、自分の後ろ姿なのである。
 (「愛子のおんな大学」より)

英雄とは必ずしも覇者のことではないと私は考えている。今はここにないものの価値に向かって進んでいく人間こそ英雄と呼ばれるべき人ではないのか。凡俗の人間は今ここにあるもの価値は信じるが、ないものの価値は信じない。
 (「こんな生き方もある」より)

女性の中にはよく、私は傷ついた、あの人に傷つけられた、と怒っている人がいるが、
私は傷つける方も悪いが、むやみに傷つく方も悪いと思っている。
 (「人間の煩悩」より)

何でもかんでも我慢しないで要求すること、文句があれば何であれどんどん言うこと、
それを自由である、幸福であると考えているとすれば、ちょっと違うんじゃないかな、
それはむしろ幸福から遠ざかっているんじゃないかな、という気がしないでもありません。
 (「それでもこの世は悪くなかった」より)

💬 愛子先生にいつまでも世の中を、私を叱っていてほしい
   今の時代こそ佐藤愛子は必要なんです。
   エッセイを読んで、皆さんも気持ちよく叱られてみてください。

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